稽留流産
前々回の記事の続きです。
初めての妊娠は稽留流産になってしまいました。
このときの詳しいことを書こうとすると、当時の気持ちが溢れて、途方もなく長くなるし まとまらないし…更新が滞るばかり(o_o;)
なのでまた折を見て書いていけたらと思います。
あんまりしんみりしたブログにするつもりは無かったけど、すべて今の不妊治療に繋がっていることなので、やっぱり出来る限り記録しておきたいと思います。
今日は以下に、
流産の頻度について
その後の処置について
当時の生活について
をまとめてみました。
稽留流産の頻度について
私のような稽留流産は
10人に1人ぐらいの割合で起こるようです。
こんなに多いとは。
知らないだけで、流産を経験している人はきっと周りにいっぱいいるんだと思いました。
実際、夫婦でお寺巡りをしたとき、水子供養のローソクがたくさん立ててあることに気が付きました。
(今までなら気づかなかった…)
「流産した人、こんなにたくさんいるんだね」と言いながら 私たちもローソクを一つ買って、火を灯してきました。
稽留流産後の処置について
掻爬手術をする人もいるそうですが、私は手術はせずに自然に出てくるのを待つことにしました。
医師曰く、卵管造影検査でせっかく卵管の通りが良くなったので その状態を維持するためには掻爬手術はしない方がベターかも とのこと。
それに私にとっても、手術のほうが精神的に辛いように思えたので、自然に任せることにしました。
赤ちゃん、出てきたくなったら出てきておくれよ、ということで。
当時の生活について
この時期は精神的にも辛かったのですが、
肉体的に辛かったのは「つわり」が続いていたこと。
高温期も続いていたので、体の具合は妊娠中と何ら変わりませんでした。
気持ち悪くなったり、体がだるかったり。
自覚症状があるだけに、流産のことを「自覚」し意識しつづけてしまう。。
つわりがありながらの仕事もキツかったです。
周りに配慮を求めたくても、事情を言えない。
当時の私は具合悪そうに見えていたと思います(T_T)
やる気なさそうに見られていないといいな(T_T)
ただ、体は辛かったけど、仕事で気が紛れていた部分もあったかもしれません。
…体は辛かったけど( ̄ー ̄ )
肉体的な辛さの他に、
いつ「出てくる」かが分からない不安もありました。
家にいるときならいいけど、仕事中や外出時に「その時」が来たらどうしよう…と常に不安でした。
毎日ナプキンをあてて、急な出血に備えて着替えの服(ズボン)を職場に置いておきました。
そういった期間がしばらく続きました。
次回は、「出てきた日」のことを書いてみたいと思います。